絶望のループから逃げ出したい

なるほど、大学2年生が終わるまでぐらいの自分と、3年生・4年生・大学院生の自分はかなり変わってしまったように思う。

 

3年生はサークルに没頭していて将来のことを真剣に考えていなかった自分に絶望し、4年生はひねり出した進路である大学院進学の試験に落ちて絶望し、自分の研究できなさに絶望し、どうにか冬に合格したものの、大学院に入ってからは授業に行けなくなり、研究室にもろくに顔を出さず研究が進まず指導教員の先生にも、心配してくれる人たちにも申し訳なくてそう思うくせに何もしない自分に絶望し、ようやく見出したゲーム業界という進路においても結局夢を叶えた周りとは裏腹に第1志望に落ち、今から行く会社に不満はみじんもないけど結局「ここ一番でできないヤツ」(だれにも言われてないが妙な気遣いみたいなものを感じるたびにこう思ってしまう)という烙印を押されている自分に絶望し、ついにパートナーにも愛想を尽かされそうになっている自分に絶望し。絶望してはそれを理由になにもせず。なにもしないから結局何もなせずに絶望する。ずっとこのループを繰り返している。ループを断ち切る機会は何度もあった。何度も思い直した。何度も行動した。でもそんな思いは時間で忘れてしまう。あんなに衝撃を受けて、あんなに決心したものも。いつの間にか溶けてなくなってしまっている。そんな自分が心底いや。そんなとき「あぁ、不慮の事故に会って死なないかなぁ」といつも思う。自殺する気はない。さすがにここまで金をかけてくれた親や関わってくれた人に申し訳ないから。でも不慮の事故ならもうしょうがないじゃん?もちろんその事故の加害者になってしまう人は不憫だけど、事故はどの世界でも起こることだもの。運が悪かっただけ。こんな思考そのものがもう関わってくれてる人たちに失礼な考えなんだけど。そこで11月30日に、一度自分が死んだことにしてみた。包丁を喉に当ててみて、本当に死ぬ気があるのか、ちゃんと自分に向き合ってみた。やっぱり死にたいわけではなかった。単純に逃げたかったんだ。できない自分を認めたくなかったんだ。だからもう、一度自分は死んだことにすれば、「君は一度死んだよね、うんうん、じゃあこれからどうしよっか」と思考を次に進められる。考えるしかないんだ。考えろ。絶望のループから抜け出せ。いや、抜け出すっていい方はなにかいや。逃げる、そうだ、逃げるんだ。これまでは絶望のループに逃げ込んでいた。ループの中にいれば自分はつらいけど、絶望している自分という体面が保てるから。ふざけた話だ。おれはこれからは絶望のループから逃げるぞ。絶望する以外にすることってなんだろう。将来を考えること?不透明すぎる。でも、不透明だからこそ面白い、みたいなところがあるんだろうな。いや、面白がっていた自分もいたはずなんだ。今もいるはずだ。いいぞ、将来に向かって、絶望のループから全力で逃げろ。

 

この文章も忘れてしまうのだろうか、と思うのは絶望のループの入りかけ。だから逃げろって。

 

 

 

トマトジュースが苦手だった

トマトジュースが苦手だった。

 

そもそもトマト自体「やんわり嫌い」ぐらいの認識だったので、わざわざすりつぶして液体にして飲む人の心情なぞ想像することもできなかった。

 

青臭いと表現される香り、舌の側部を刺激する酸味、中途半端なドロゴロした舌触り。

 

どこが美味しいのだ。

 

小さい頃の自分にとっては、「ジュース」とはサラサラで甘いものだった。このイメージとの差異も苦手意識に拍車をかけたのだろう。

 

では今はどうなのかというと、まぁ飲むことはある、ぐらいの認識である。

 

歳を重ねるにつれ直感的な嫌悪(苦い・酸っぱい・辛い等)を乗り越えた上での好き嫌いを考えられるようになったこと、「健康に良いから」などの味覚以外の要素も摂取する動機に入れるようになったことが関係しているように思う。

 

日常の何気ないものから、自分の過去について思いを馳せた。

 

物を通して現在と過去はつながっている。

 

んだとおもう。

 

 

 

1ヶ月以上前に父親から吐かれた許せない言葉を忘れないうちに残しておく

第1志望のゲーム会社N社に落ちた次の夜。

 

「オレだって悲しんだよ!これまでのおれたちの教育が間違って間違ってたんじゃないかって!!」

 

これを息子に怒りながら言う父親。

 

は?

 

それは自問することであって息子に怒って言うことじゃないだろ!?!?!?!?

 

言い換えたら

 

「失敗しやがって。おれたち(おれ)の教育が間違ってたことにしたいのか?」

 

ってことだろ?

 

なんだ、息子はあんたの業績を示すためのものか!?

 

ええ、そうでしょうね、高校の先生で教科書作りにも携わっていて、教育関係で博士号もちゃんととってる方の息子ですものね。

 

そんな息子が院試に1度落ちて成績も悪くて第1志望の御社に落ちたら、そりゃあ世間体が危ないですもんね。

 

地元の知り合いが「子どもをいい学校に行かせたいんだけどどうすればいいか」なんて相談に来たときにはたいそう自慢げにお話してましたもんね。

 

 

 

ふざけるな。

 

おれはあんたの業績を示すために生きてるんじゃない。

 

たしかに環境を用意してもらったことには感謝してる。なんだかんだ言ってもあんたの教育があったからここまでこれたことにも感謝はしている。

 

でも、環境の中で、やったのはオレなんだよ。

あれしろ、これしろ、なんだこの成績は、甘いんじゃないか、なんて上から一方的に正論を言われ続けて歯向かうこともできず、自分で何かを考える機会を奪われながら育って、結局今は自分で飛べないグライダー人間になってしまいながら、世間的にはいい大学(大学院)まで入ったのはオレの力なんだよ。

 

あんたは「これからは自分で考えることが大事だ」的な教育を世間で進めているけど、結局オレを「自分で考えられないグライダー人間」にしたんだよ。

 

歩み寄ろうとせず、自分が思う正論を上からぶつけることが教育ですか?

 

正論を言うことが、人を導く上で本当に正しいことですか?

 

言われた側がどう考えるかを本当に考えて言ってますか?

 

正論のようにできない原因を知って、それに寄り添って解決していくのが、本当の解決法なんじゃないんですか?

 

結局、あなたは自分の息子も結局生徒で、何を考えていて、何を悩んでいるかなんて、中身なんてどうでもいいんじゃないんですか?

 

オレが仮に自殺なんかしても、一番に思うのは「これまでかけてきた金を無駄にしやがって」なんてことじゃないですか?

 

あなたが大嫌いな「ゲームを作る会社にで働きたい」とオレは言っていて、N社を志望していたわけだけど。

 

N社の選考を頑張ってる間は、応援してる的な声をかけてくれてたよね。

 

それに落ちた瞬間手のひら返し。「ゲームなんかしてないで〜」とか言い出す。

 

結局有名な会社に入れなかったから気に入らないんじゃないんですか?

 

「自分で食ってけるようになれ」とか、最低限の条件だけ言いながら、結局自分がかけてきたお金に対する見返りが欲しいだけなんじゃないですか??

 

いい加減、干渉しないでもらえますか?

 

オレは今、グライダー人間であることを自覚して、どうにか自分で飛べる飛行機人間になれないか、無理やりエンジンを積んでるところなんです。

 

頼むから、これ以上、おれをペラペラのグライダーにしないでくれ。

 

 

 

 

 

 

 

ライフイベント:父親に積年の思いを滔々と泣きながら話す

言葉にできた、形にできたというのが、おれにとってはとても、とても意味のあることだった。

 

父親に対して、ここまで金をかけて育ててくれたことに対して感謝はしている。

 

でもその過程で積もった思い、

 

後悔ではない、

 

恨みでもない、

 

要望でもない、

 

でもただただ積もってきた思い。

 

父親は意図していなかったと考えられるオレが与えられてきた無力感。

 

父親の問い、その意図に答えられない自分を見つめ、結果下がってゆく自己肯定感。

 

そういう小中高の12年間で積み重なってきた経験が、今のオレを形作る材料になっていて、おれが父親と【自分の進路や価値観について話し合う】ことが非常に苦痛であることの理由になっている、ということを伝えた。

 

伝えることができた。

 

文字通り表に現すことができた。

 

自分の生にとって、大きなイベントをまた一つ成し、通り過ぎた気がする。

 

 

 

これはいわゆる【就職に関する親からの圧力】に分類される種類の会話から派生して、発生したライフイベント。最近ライフイベント起こりすぎ問題。

 

この出来事に対してどう考えていくのか、そして就職活動の方向性はどう考えていくのか。

 

明日以降の自分に期待する。

 

不格好でも気持ちを文章にできる自分を、

 

親しい人たちがいて、その人達が応援・期待してくれる自分を、

 

きっと明日の自分は認めて、糧にして将来を考えてくれるだろうから。

 

ふりかえりをしたい

ありふれた話。

 

就活生が第1志望である大企業の採用選考を受け、そこそこいいところまで進み、不採用、という結果連絡がさっき来た。

 

 

 

おわり。

 

その就活生はその企業に落ちらそれ以降のことを考えようと思ってた。

心の何処かで「どうせ大丈夫」という思いがあったから、というのは否定できない、と正直に述べておく。

 

 

で、

 

 

いざその状況になって、呆然と、漠然と、これからどうするか考えようとしてみるわけだ。

 

そこで、燻る思いがあることに気づく。

 

このまま、「はい、残念でした。お前自身が、自分で、落ちたら後は考えるって言ったよね。じゃあさっさと考えようか。」とはいかない。

 

ただ前向きになることなんてできない。

後ろを振り返らずにはいられない。

非生産的な、自虐的な、これまでの振り返りを吐き出さずにはいられない。

振り返って、振り戻さなければならない。振り戻して、自分の身の振り方を考え直さなければならない。

 

これまでの積み重ねを昇華し、次の何かにつながることを薄目で期待しながら。

 

 

振り返りはわざわざネットの海に放り込むこともないので、今回はここまで。

リズム天国をプレイしてみたいと思った、という話

社長が訊く』というのは、故・任天堂社長岩田聡さんが、自社ゲームの開発に関わった人たちにインタビューして回るweb連載企画である。

 

社長が訊く『リズム天国ゴールド』

 

↑の記事を読んで吐き出したくなった事があるので今これを書いている。

 

アコギ練習し始めてから2年経って、コードは抑えられるようになってきたけど、ストロークの仕方というかリズムのパターンが全然身体になくて、単調な弾き方になっちゃう問題に対してどうアプローチすればいいかわからなかった。

 

というのも、敬愛するラジオパーソナリティでありミュージシャンでもある鷲崎健さんのアコギ演奏をよく聴く&曲を真似て弾いてみるのだが、ストロークの仕方・リズムのとり方がすごすぎて全然真似できないのだ。アカペラサークルに所属している友人曰く、「この人(鷲崎さん)の中には独自のリズムが流れている」とのこと。

 

大学(高校?)の授業をサボってサークル棟でずっとアコギで遊んでいたという鷲崎さんの経験量が為せる技なのかなと思っていた。

 

1曲をまるまるコピーしてみることで、曲の中のリズム感を身体に刻み込む。これを繰り返していけば様々なリズムを覚えることができる。

 

しかし1曲まるまるコピーは結構大変な行程だ。少なくとも素人の私にとっては。

 

リズム天国であればリズムに特化して学ぶことができるらしいことが、上記の記事から伺えた。

 

リズム天国、やってみたい。

 

 

三秒ルールのすき間

三秒ルールってあるけど、あれは間違いで、地面についたら0コンマ数秒で菌が付くから三秒以内に食べても意味が無いんだよ」

 

 

 

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三秒ルールをみなさんご存知だろうか。

 

「食べ物が地面に落ちても、3秒以内に拾えば大丈夫」という一種の冗談である。

 

世の中にはこの事柄について真面目に研究している方々もいるらしく、様々な意見があるらしい。

 

食べ物を落として「3秒ルール」は誤り、研究者が実証。床に落ちたらすぐ汚染、時間とともにバイ菌付着量も増加 - Engadget 日本版

 

少なくとも私は冗談だと思っていた。

「食べ物を地面に落としたら、接地した瞬間にばい菌が付くから三秒ルールなんてない」

と。

 

その上で私が三秒ルールを使うときは、食卓テーブルの上に落ちてしまった食べ物をもったいない精神で食べる時、なまじおどけながら冗談として言う。

 

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 一年以上前、当時大学4年生だったわたしは、

研究室の指導教員様のお宅で開かれたパーティ的なsomethingに参加していた。

 

パーティの途中、先程出した例のように食卓テーブルの上に落ちてしまった食べ物を「3秒ルール3秒ルール(笑)」と周りに言いながら口に運んだ。

 

そこで指導教員様がおっしゃったのが

 

三秒ルールってあるけど、あれは間違いで、地面についたら0コンマ数秒で菌がつくから三秒以内に食べても意味が無いんだってね〜」

 

 である。

 

その豆知識に対してまわりは「そうらしいですね〜」ぐらいの反応だったのだが、

 

私はかなり驚いてしまった。

 

それまでの私の頭の中では「ばい菌は地面に接した瞬時につくもの」であり、この世全ての食べ物は【地面に接した】/【接してない】の二つの状態にしかなりえないものだった。

 

そこに「地面に接しているのにばい菌がつかない0コンマ数秒が存在する」という事実が降って湧いたのである。

 

青天の霹靂の如き出来事だった。

 

 

「じゃあその0コンマ数秒経つ前に食品を拾い上げれば菌はつかないってこと!?」と考えたらちょっとワクワクすらした。

 

ちなみにその場で↑を口走ったら、

「いやそんなこと現実にできるわけないでしょ…。」

 

と、何言ってんだこいつ的視線&雰囲気になってしまって、自分のテンションとの落差に驚くなどしたわけだが…。

 

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結局何が言いたいかというと、他人にこの「3秒ルールのすき間」のような、慣れきってる世界をぶち壊すような何かを伝えられるようなものを作っていきたいなとふと思ったわけです。

 

とりあえず、今制作してるゲームがそういうものになったらいいなぁ。